スコットランド・エジンバラ
学会発表のため、スコットランドの首都エジンバラを訪れた。
私にとっては初めての海外旅行、もとい海外出張。
このためにデジタルカメラを新調した。
コニカミノルタ製のコンパクトなデジカメ。
コンパクトながらも光学ズーム機能を内蔵していて、いい感じで写真が撮れた。
まず1枚目、エジンバラ旧市街。
エジンバラは旧市街と新市街に完全に分かれており、旧市街はほぼ全てが石造りの建築物で構成されている。
その旧市街の中央に位置するのがエジンバラ城。
このように小高い丘の上に築かれているので、市内のどこからでもその姿を見ることができる。
丘の麓から見上げたエジンバラ城。
天然の険しい石山、城壁に隙間なく穿たれた銃眼口。
見た目の美しさだけではなく、この城は軍事的にも地形を活かした強固な構造であった。
裏側に回ってみたが、こちらも断崖絶壁。
この城を攻略しようとしたイングランド兵の悲鳴が聞こえてきそうな堅城だ。
ものすごく城壁を上ってみたい誘惑にかられたが、学会発表を前にしてスコットランドヤードのお世話になるわけにはいかなかったので、泣く泣く断念。
エジンバラ城から旧市街中心部へ至るプリンセスマイル。
その名の通り約1マイルの大通り。
そしてその中心部にあったこの建物は・・・何だったのだろう?
たぶん由緒ある建物なのだと思うが、予習不足で全くわからず。
旅行において、下調べがいかに重要かということを痛感した。
学会期間中に宿泊したエジンバラ大学のドミトリー。
学生寮というわりには非常にきれいな建物で、日本の一般的なビジネスホテルより充実していた。
コンセントの形状が全く違うこと、枕元にある聖書がなまらでかいこと、時計が声高に夜を主張しても一向に暗くならないことに異国情緒を感じた。
(6月下旬だったので)
ドイツ・ミュンヘン
無事学会も終わり、研究室の仲間とは解散。
ここからは堂々と海外旅行モード。
日本からやってくる高校時代の仲間と合流するため、ドイツへ飛んでミュンヘン中央駅にやってきた。
しかし、電車が遅れているとの電話があり、時間通りミュンヘン中央駅にやって来た私は、駅構内で約3時間待つことに・・・。
日本の電車運行管理の偉大さを痛感した。
友人との合流が遅くなったので、その日はそのままホテル泊。
翌日、ミュンヘン市内観光の第一歩としてカール門にやってきた。
フツーの地面からトラップのように噴水が吹き出している。
水が止まっている時に、知らずにここを歩くと楽しいことになりそう。
次に訪れたのがミュンヘン新市庁舎。
ここの名物は写真中央部にある緑色の仕掛け時計。
決まった時刻になると、中の人形がくるくると回り出す。
新市庁舎の壁面にあった姉妹都市のシンボル。
なんか見覚えのあるマークがあるなと思ったら、札幌市のシンボルだった。
おまけにその下にはエジンバラのシンボルが・・・。
期せずして姉妹都市巡りをしていたようだ。
新市庁舎の塔の最上部から真下の大通りを撮影。
日曜日の昼間だというのに、人通りがほとんど無い。
それもそのはず、ほとんどのドイツの店は休日に営業していない。
日本の感覚で休日に街を楽しもうと思ったら、寂しい感じに。
同じく新市庁舎の塔の最上部から撮影した聖母教会。
かつて異教徒がこの地に侵攻してきた時、この2本の塔が迎撃ミサイルとして飛び立ち大活躍をしたという伝説は残っていないようだ。
次に訪れたのはニンフェブルグ城。
城とは言ってもエジンバラ城のような戦闘目的のものとは異なり、王族の夏の離宮とのこと。
ドイツ・フュッセン
翌日はレンタカーを借りて、ミュンヘン→フュッセンと移動しました。
「せっかくドイツに来たんだから、ドイツ車を運転したい!」という希望は、語学の壁の前に見事に裏切られ、まさかのアメ車(フォード)で旅をすることに。
「アウトバーンを180km/hでかっとばす!」という夢があったのだが、どんなにアクセルを踏み抜いてみても170km/hまでしか上がらず。
フォード、しょぼすぎ。
スイス国境に近づくに従い、曲がりくねった山道となってきたため、車酔い醒ましに小さな村で休憩をとった。
そこで偶然、ドイツ軍のトラックを発見。
しかも軍用トラックなのにベンツのマークが!
うらやましいぞ、ドイツ軍!!
こっちはフォード・・・(以下略)
ようやくフュッセンに到着。
ホテル探しに若干苦労するが、努力が報われこのような新築同様のきれいなホテルに泊まることとなった。
前言撤回。
ホテル内部は新築ではなく建築中であった。
夕方には工事が終了するとのおかみの言葉を信じて、フュッセン観光のメインであるノイシュバンシュタイン城及びホーエンシュバンガウ城へと向かうことにした。
ホーエンシュバンガウ城に到着。
前述のニンフェブルグ城とはだいぶ趣が違う。
もちろんエジンバラ城とも。
初めての海外旅行とはいえ、もっと城の勉強をしてから来るのだった。
ホーエンシュバンガウ城内からフュッセン方向を望む。
遠くの湖や山々に至るまで、美しい田園風景が続いていた。
ホーエンシュバンガウ城からノイシュバンシュタイン城を望む。
ガイドブックによると、狂王ルードヴィッヒ2世はこのホーエンシュバンガウ城からノイシュバンシュタイン城の築城風景を観察していたらしい。
ホテル、ついに完成!!
そこら中にシンナーっぽい臭いが充満しているが、”ペンキ塗り立て”の貼り紙は無し。
もちろん、ドイツ語で書かれていてもわからんが。
新築だけあって、内装はこれまで泊まったホテルの中で最も豪華であった。
こんなにロマンチックな部屋に野郎3人で泊まらなければならないとは・・・
ドイツ・ローデンブルグ
翌日、ロマンチック街道の中心的観光都市であるローデンブルグに到着。
観光都市だけあって、一部の売店は日本語OKだったりする。
街中は日本人観光客であふれていた。
この写真は市庁舎の屋上から撮ったものだが、屋上は日本人だらけ。
すれちがったドイツ人の「Top is Tokyo!」は名言であった。
ローデンブルグ城内の庭園。
ここは閑静で素敵なお勧めスポット。
ローデンブルグ駅に停車中の列車。
ドイツの国鉄はすべてDB(ドイツ・バーン)と記してある。
このように、DBの中には自転車で乗り入れられる車両が結構たくさんあった。
ドイツ・フランクフルト
フランクフルト中央駅構内。
ここで友人達と別れ、一足先に帰国の途についた。
こんな簡単な旅行記では書ききれないくらい出来事満載の旅であったが、来年また共に海外に行くことを誓い、帰国することにした。
後日談となるが、この帰国フライトが私にとって、前半生最後の国際線フライトとなった。
この1年後、パニック障害になってしまったのだ。
人生何があるかわからない。
一瞬一瞬と大切にして、たくさんの思い出を作っておくことだ。
当時の私に「学会発表の成果まとめもあるだろうが、友人と一緒にもっとヨーロッパ旅行を楽しんできなよ」と伝えてあげたい。
【パニック障害】初めて国際線に搭乗した時の違和感(2002年6月)
飛行機は好きでした。座ってゆっくりできるし、何より速かったから。 当時は、移動時間=無駄、と考えていたので、少々料金が高くても、好んで飛行機を選択していました。 大学院生になるまでに、ゆうに100回は ...
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