パニック障害

青函トンネルが怖くなり、北斗星を降りてしまった(2004年5月)

2023年7月29日

青函トンネルが怖くなり、北斗星を降りてしまった(2004年5月)

北海道への帰省、飛行機に乗れないので北斗星を選択

東京での新生活が始まり、初めてのGW。

昨年末に生まれた第一子のお披露目で札幌の実家に帰省することにしました。

通常であれば飛行機一択なのですが、今の私には無理です。

精神科を受診したことがあるとか薬を飲んだことがあるとかは妻にも言えずにいましたが、飛行機に乗れなかったことはリアルタイムにばれている(でも当初は酒に酔って飛行機に間に合わなかったことの言い訳と思われていたらしい)ので、寝台特急の北斗星で帰省したいと伝えたら、ありがたいことに喜んでくれました。

上野駅を出発し、ブルートレインでの旅は順調に始まりました。

ほどなく夕食の時間となったので、食堂車へ行きました。

期待していたとおりの北斗星レストラン。

アルコールもいただきながら、妻との食事を楽しみました。

食事を終え、個室へ戻りました。

どのくらいの時間が経ったころか定かではありませんが、何か落ち着かない気分になってきました。

個室がとても閉所空間に思えてきたのです。

確かに、上野駅で個室に初めて入ったとき、少し狭いなとは思っていましたが、今のような閉塞感、圧迫感は無かったのですが。

妻に打ち明けて相談してみようか迷いましたが、そんなことしても解決するとは思えないし、かえって妻を不安にさせるだけでしょう。

そうでなくても生後5ヶ月の第一子の世話も一手に引き受けてくれているのに。

あれこれ悩んでいるうちに、不安でいてもたってもいられなくなってきました。

トイレに行くと称して、解放感を求めて通路に出ました。

これもまた狭い。

じっとしていられないので、号車をまたいでひたすら歩き続けました。

他の人が見ればさながら不審者でしょう。

真夜中なので、窓の外は暗闇でした。

でも、そこへ逃げ出したい衝動が抑えきれません。

頼むから降ろしてほしい。

もうそのこと以外は全く考えられなくなってしまいました。

すっかり疲弊して、ひとまず個室に戻りました。

どうしたのと心配する妻に、この期に及んでウソをついてもしょうがないので、落ち着かない気持ちになってきた旨を話しました。

大丈夫だよと言ってくれました。

妻の優しさには本当に感謝。

ですが、パニック発作の観点からは全然大丈夫ではないのです。

いざとなれば窓ガラスを割って脱出する。

このイメージだけが心の支えになっていました。

車内放送が私にとどめを刺してくれました。

「この後、青森駅に停車、お客様の乗降りはできません。そして青函トンネルに入ります・・・」

もう限界でした。

トンネルに入っては脱出不可能ではありませんか。

それも世界最長(当時)かつ海底。切羽詰まって妻に伝えました。

青森駅で降りられなければ死ぬしかない。

妻は言いました。

じゃあ青森駅で降りましょう。

妻が車掌さんと交渉してくれて、特別に降ろしてもらいました。

深夜2時の青森駅。

生後5ヶ月の赤ちゃんを抱く妻の後ろをトボトボと歩く私に向けられた車掌さんの目は厳しいものでした。

私も、できれば殺してほしいと思いました。

そのままタクシーに乗り、フェリー乗り場で一晩を明かしました。

青函フェリー、乗れるはずがありません。

両親に電話で謝り、レンタカーを借りて東京へ戻りました。

できないことが、またひとつ。

-パニック障害